お客様からいただいた声や思いもかけずお葉書をいただくことがあります。
このような声やお葉書の中から、以下に一部を掲載いたします。
「個人情報に関わるような部分」は、省略しています。
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ご無沙汰しています。無事家庭裁判所の調停が終わり、想像していたより良い結果になりました。
当初はあきらめていた、父の遺品の絵皿も戻って来ることになりました。
最初は、もうこのままあきらめようかと思っていました。
ただ、このまま遺産分割に納得できずに、悶々と過ごしていても、永遠にスッキリしないと思い、思い切って相談することにしました。
お会いして相談できたので、なんとか前に進むことが出来ました。どうもありがとうございました。
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ここで紹介されている文章は、「FP暮らしのコツ」のファイナンシャルプランナー 木下利信氏がHPに記載されているものを、全文をそのまま引用させていただきました。
「THANK YOU THANK YOU THANK YOU!!!」 これは、リンダ(仮称)から11月下旬に我々に届いた電子メールの書き出しです。
そして彼女の文章が続きます。
「It's almost like I can't believe what I am reading! This is such great news, so unexpected. My gratitude cannot be expressed enough through an email, you deserve a better "Thanks" than that. It is amazing that you have taken this journey for me to a place I could never imagine. If it weren't for you & your wife, I would never know about my true heritage. A million thank you's! You are amazing. Thanks for helping make this become a reality for me. If I could hug you through this email I would!」
リンダの感激した様子がメールの文章(PDF)から伝わってきます。今回は今年最後のFPエッセイです。2007年締めくくりのエッセイとして「リンダの物語」をお伝えしたいと思います。
(注)以下、エッセイ中の氏名はすべて仮称を用いています。
リンダは30歳代半ばの独身女性です。現在ロスアンゼルス郊外に住み、テレビコマーシャル制作関係の仕事で全米を忙しく飛び回っています。彼女のことを我々が知ったのは一年前のことでした。いや、正確には、リンダが我々夫婦のことを知ったのが一年前だったのです。
2006年9月、妻にキャサリンという女性から一通の電子メールが送られてきました。そのメールには、彼女の夫が米国の知人から受け取った電子メールの内容が添付されていました。
米国の知人はキャサリンの夫に、ある人物の親族探しを依頼してきたのです。彼女の夫は米軍の厚木基地に勤めています。彼らは日本にきてまだ一年足らず、誰に相談して良いのか分からないまま、彼女がそのメールを妻に転送してきたのでした。
当時キャサリンと妻はすっかり親しい関係になっていました。キャサリンが夫の仕事の関係で日本行きが決まった時、同じ軍関係で親しくしていたある米軍将校の妻からこう言われたのです。「キャサリン、日本に行ったらミセス木下と必ずコンタクトしなさい。あなたが困った時、必ずヘルプしてくれるから」と。妻のところにも彼女からメールが入ってきました。「私の友人のキャサリンが今度日本へ行くことになった。ミセス木下の電話番号を教えてあるので、彼女から連絡があったらサポートして欲しい」と、そのメールには書いてありました。そのキャサリンからのヘルプ依頼です。妻は「勿論」と即答です。この時からリンダのルーツ探しが開始されました。
キャサリンの夫のところに送られてきた情報はたった一通の古い戸籍の写し(PDF)でした。青焼きと言われる方式で複写されたもので、手書きの文字がところどころぼやけて容易には判読できません。これだけでは、誰のために何をどこまでどの様に調べて良いのやらさっぱりです。また、この時点では親族探しを求めている人物の名前が「リンダ」ということぐらいしか分かりません。リンダが何歳なのか、リンダがどうしてこの戸籍書類を持っているのか、彼女の連絡先も、何もかも分からない状態です。
先ず何から手をつける必要があるのか、私と妻で分担を決めました。妻は、リンダと直接コンタクトをとり、彼女から出来うる限りの情報を入手することと、彼女の希望を聞き出す役割です。私の役割は、唯一の手がかりとなる古い戸籍の解析です。
戸籍の内容は、一部判読が出来ない箇所があったものの何とか読み取れることができました。戸籍の写しは山形県米沢市が昭和31年に発行したものです。戸籍の1ページ目には、戸主となる男性(田中鶴吉)が昭和18年に世田谷区で死亡したこと、そして戸籍の2ページ目には、女性の氏名(田中あき子)と彼女の子供の名前(秋雄)、生年月日が記載されており、「山崎カネ」という女性によって秋雄の出生届けが東京都府中市に出されたことが記載されていました。また秋雄の父親の氏名欄は空欄になっているのです。
田中鶴吉と田中あき子は同姓なので、あき子が鶴吉の子供であることは分かります。そして戸籍の写しの認証日が秋雄の出生日のおよそ1ヵ月後となっていることから、秋雄がリンダと何らかの関係があることが推測できます。しかし、なぜ山崎カネが秋雄の出生届けを出したのか、謎の人物としか言いようがありません。
「戸籍のことは戸籍のプロに聞いてみよう」と考え、この戸籍の写しと、私が苦労して解読したメモを持って、某区役所の戸籍係りを訪れました。窓口で対応してくれたのは50歳代の女性です。事情を話し、この戸籍に関して分からないことが多いので見て欲しいとお願いしました。
係りの女性は親切に対応してくれました。戸籍の写しを読み終えた時、彼女はこう言ったのです。「これは戸籍の抄本(原本の一部)ですね。この抄本では、田中あき子と田中鶴吉さんの関係は分かりません」。更に「この抄本は新しい戸籍法で発行されているので、戸籍の謄本(原本の全部)の写しを取り寄せれば秋雄さん以降のトラッキング(追跡)が出来るはずです」。闇の中に光が見えた瞬間でした。
どうしたら戸籍謄本の写しを入手できるのかと聞いたところ、「謄本の写しは米沢市に請求することになります。但し、本人や親族が請求することが原則ですので他人が勝手に請求することは出来ません」との説明、見えていた光が小さくなっていく感じです。「でも、本人や親族以外でも行政書士や弁護士を通せば請求が可能です」と助け舟を出してくれたのです。この一言で、私の頭の中に、あるFPの名前が浮かんだのです。
キャサリンの夫にリンダの親族探しを依頼した知人はリンダの叔母(おば)でした。キャサリンは、その叔母に、我々夫婦がリンダの親族探しの協力者になることを伝えました。そしてリンダの叔母より、リンダの電子メールアドレスが伝えられ、妻は彼女に最初のメールを送ったのです。昨年10月のことでした。
一ヶ月が経過してもリンダから何も返事がありません。何かおかしいのです。叔母にリンダのメールアドレスを再確認しても間違いはありません。考えられるのは、リンダのパソコンが、妻からのメールを「迷惑メール」と認識し自動的に削除していることでした。
12月に入り、ようやくリンダから妻のメールを受信したと返事がきました。やはり迷惑メールとして処理されていたのでした。一旦コンタクトが開始された後は、メールと電話を交えて頻繁にコミュニケーションが交わされました。
リンダの叔母がキャサリンの夫に送った戸籍情報を基に、自分のルーツ(先祖)や親族の情報が手に入るかも知れないということで、リンダの期待が膨らみます。
区役所戸籍係のアドバイスを聞いた時、私の頭の中に浮かんだ人物は半田氏でした。半田氏は私と同じプロの独立系FPとして活動し、そして同じ勉強会にも属している仲間です。ただ、半田氏がユニークなのはFP資格の他に行政書士の資格も持ち、二つの仕事を行っていることでした。リンダは田中家の親族にあたります。従ってリンダの依頼のもとに行政書士の立場で戸籍謄本の写しの請求が可能となるのです。
A氏は、私の依頼内容を聞き、早速行動を開始してくれました。そして瞬く間に私たちも想像していなかった情報を収集してくれたのでした。戸籍謄本の写しは米沢市へ請求してくれました。そして、その謄本の写しから明らかになった親族について、それぞれの家族が住んでいる自治体へ住民票の写しを請求し、それらを次々と入手したのです。
それらの資料から、昭和31年に生まれた秋雄の母、田中あき子は、秋雄を産んだ翌日に亡くなっていることが分かりました。若干19歳でした。秋雄の出生届けを出した山崎カネは、田中あき子の母親だったのです。姓が異なるのは、あき子の父親である田中鶴吉と晩年離婚していたからでした。
田中鶴吉とカネには9人の子供がいました。田中あき子は9番目の子供だったのです。そして、謄本の写しから、生まれたばかりの秋雄を祖母となるカネが引き取ったことや、秋雄が生後5ヶ月の時、米国人であるバラード夫婦の養子となっていたことが判明しました。そうです、この秋雄が後にリンダの父親になるのです。
更に、9人兄弟のうち、7番目の兄と8番目の姉は存命であること、そして結婚しそれぞれ家族を形成していることも分かったのです。ついにリンダと血のつながった親族が見つかったのです。
秋雄が生後5ヶ月でバラード夫婦の養子となり米国に向かったところまでは分かりました。その後の話は、妻がリンダから聞くことになります。
バラード夫婦の養子となった秋雄は、名前がデイビッド・バラードとなり米国で成長しました。そして結婚し二人の子どもを持ちました。最初の子供がリンダです。そして下が弟のビルです。しかし、デイビッド(秋雄)夫婦は決して良い両親ではありませんでした。彼らが結婚したのは、お互いが16歳の高校生の時です。
生活力のない高校生夫婦に生まれた子ども達ですから、しばらくしてリンダと弟はバラード夫婦の親族に引き取られて育てられることになりました。リンダが4歳の時、デイビッド(秋雄)は妻と離婚し、それ以来、リンダが再び父親の顔を見ることはありませんでした。
その後リンダは、立派に成人し、仕事を持ち、ロスアンゼルスで生活を始めました。二年前に自分の父であるデイビッド(秋雄)の消息を探すこと思い立ちました。しかし、調べて分かったことは、父は既に2002年に亡くなっていたことでした。
リンダは、父であるデイビッド(秋雄)が日本生まれであることを知っていましたが、それ以外のことは一切知らされていませんでした。父の消息を探し出そうとした切っ掛けは、少しでも日本の先祖や日本人の親族のことを聞き出したかったからです。唯一の手がかりとしてリンダの手元に残されたのが、秋雄の出生記録が記載された戸籍抄本の写しでした。そして、叔母へこのことを相談したのです。
相談を受けた叔母も、日本や日本人に何もつながりを持っていません。そこで、彼女が以前働いていた職場で知り合ったキャサリンの夫が日本に赴任したことを思い出し、彼に電子メールを送ったのでした。
すべての情報が整いました。半田氏が集めてくれた資料を基に田中鶴吉、カネ夫婦と9人の子供達、そして存命のリンダの祖母の兄と姉の家族情報を英文の家計図の形にまとめ、それまでに集められた資料とともにリンダに送ったのです。今年1月のことでした。
残念ながらクリスマスプレゼントには間に合いませんでしたが、リンダにとっては新年のお祝いと重なる嬉しいニュースでした。郵送した分厚い書類を受け取ったリンダから、早速喜びと感謝を伝える電子メールが送られてきました。
しかし、我々の仕事はまだ終わってはいません。リンダの祖母の兄と姉に対し、どのようにコンタクトをとるかです。いきなりリンダから英文の手紙が送られたらびっくりすることは容易に想像できます。リンダと相談の結果、我々夫婦が先ず接触し、今までのいきさつを理解していただいた上でリンダが連絡をとる手順としました。
そして今年の4月、リンダの祖母の兄と姉に私から手紙を送ったのです。簡単ないきさつを説明し、連絡(電話)をいただきたいとの内容です。
三日後、兄へ出した手紙が戻ってきました。戻ってきた手紙には「転居先不明で配達できません」のスタンプが押されています。郵便局に問い合わせましたが、最近引越しをしたものの、郵便の転送手続きを取っていないため、配達しようがないとの回答です。一方、姉へ出した手紙についても、その後何の返事や連絡が来ませんでした。
FP仲間で行政書士資格を持った半田氏へ再び相談し、祖母の兄の住民票を再度取り寄せてもらうことにしました。取り寄せた最新の住民票には、3月に世帯主が死亡したことが記載されていました。つまり、ほんの一月前に祖母の兄は亡くなっていたのです。そして、その直後残された家族は転居していたのでした。
これらのことをリンダに知らせました。祖母の兄弟が接触直前に亡くなっていたことにショックを受けていました。祖母の兄の家族の新しい住所は分かりましたが、残された家族はまだ喪中です。そこで、しばらく間をおいてから再度我々からコンタクトすることにしました。
半年が経過し、10月に入ったところで、祖母(田中あき子)の姉と亡き兄のご家族へのコンタクト作戦を再開しました。今回の手紙は祖母の姉宛ではなく、同居しているご家族宛に送りました。祖母の姉は既に高齢です、年齢や病気を理由に返事がなかったのかも知れないと考えたのです。
一ヶ月が経過しました。いずれからも何の連絡もありません。そこで11月最後の日曜日、祖母の姉の住まいを直接訪問したのです。私の自宅から電車を乗り継いで3時間の道のりです。昼前に到着し、住民票にあるアパートの部屋番号のドアをノックしました。ドアを開けてくれたのは祖母の姉、本人でした。幸いなことに在宅されていたのです。
私の突然の訪問に、最初はすこしびっくりした様子でしたが、すぐに事情を理解して頂きました。彼女は4月に我々が送った手紙を受け取っていました。なかなか連絡ができなかったことについてお詫びの言葉をいただきました。そして彼女の知っている妹(あき子)と秋雄の話を私に語ってくれたのです。
「妹のあき子はとても活発な子供でした。18歳になったとき、当時まだあった府中の米軍基地で働き始めました。そこで英語も覚えたのです。基地で働いているときに一人の米国軍人と恋仲になり、そして妊娠しました。あき子は、子供が生まれたら、彼と一緒に暮らすつもりだと私たちに話していました。
しかし、秋雄を出産した後、急死したのです。今の時代なら十分な治療ができ命を落とすようなことはなかったのですが、当時は、急なことでなすすべがなかったのです。彼に知らせるため、基地のMP(ミリタリーポリス)へ連絡したのですが、あいにく彼は他の基地へ出張中でした。
彼の仕事は、軍の物資を配送することでしたので、出張が多かったのです。米軍関係者の中に日系二世がいました。彼がとても親切で、母親のカネや残された秋雄のことを気遣ってくれました。そして、秋雄の将来を考え、バラード夫婦の養子となることを提案してきたのです。バラード夫婦は子供がなく、養子を求めていました、二世の軍人の薦めに対して、母親のカネも納得の上、秋雄を養子に出す決断をしました。秋雄が10歳のとき、バラード夫婦は秋雄を連れて日本を訪れました。そしてカネと私を食事に呼んでくれました。しかしそれ以降、秋雄との連絡は一切途絶えたまま今日に至ったのです。」
リンダに送りたいので写真を撮らせて欲しいとお願いしました。笑顔がとても素晴らしい写真となりました。別れ際、「リンダには、元気で頑張って欲しい」とのメッセージを託されました。私の気分も晴れやかです。その帰り道、祖母の亡き兄のご家族のお宅にも立ち寄りましたが、残された家族は父の妹や秋雄のことは一度も聞いた記憶がないことが分かりました。
帰宅後、妻に顛末を報告しました。妻は、リンダの祖母の短い生涯の背景を知りびっくりすると共に、秋雄が養子にもらわれていった事情を理解し、ほっとしたり、驚いたりの連続です。
次は妻の最後の仕事です。早速リンダの祖母の物語を英文にし、祖母の姉の笑顔の写真を添付してリンダへ電子メールを送ったのです。12時間後、冒頭の返事がリンダから返ってきました。一年掛けた仕事が終わった瞬間です。キャサリンから依頼されたことで始まったプロジェクトは見事目標達成です。
リンダと彼女の叔母は、来年是非日本を訪問したいと希望しています。彼らの目的はリンダの父や祖母のことを知っている姉に直接会うことです。そして、その時我々も初めてリンダと顔を合わせることになるのです。
リンダが叔母に相談し、叔母が日本へ転勤した知り合いへメールを送り、それを受け取ったのがキャサリンの夫であり、キャサリンが妻と知り合っていたことが、このプロジェクトの始まりです。そしてこのプロジェクトの目標達成には、戸籍係の女性や行政書士資格を持った半田氏のアドバイスや的確な行動があったのです。人のつながりの不思議さとそのパワーを改めて感じました。
一年を要しましたが、リンダへの今年のクリスマスプレゼントには間に合ったのです。
(終わり)
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私が関与した相続の事例です。(個人情報の関係上、概略のみ書きます。)
ある方の親の相続があり、戸籍を調べたところ、亡くなった親に依頼者が全く知らないご兄弟がいることがわかりました。
相続手続きのため、そのご兄弟と連絡を取り、銀行などの相続書類を送って書いてもらおうとしたところ、そのことが気分を害されたのか拒絶されました。
そこで私の方に相談があり、何とかしてもらえないかということでした。
私の方からも、その方に事情を書いた手紙を送りましたが、頑なな様子で当方に送り返されてしまいました。
そこで住所はわかっていましたので、私がその方を直接訪問し、事情を説明することにしました。
訪問時は、あいにくご本人、奥さんともが不在で、ドアも鍵が掛かっていました。これは予想されたことだったので、私は帰って来られるまで待つことにしました。午後1時頃だったので、夕方までまだ数時間あります。最悪でも夜になれば、奥さんも戻るだろうということで、数時間待つつもりでドアの状態が見える階段の踊り場でずっと待っていました。
約2〜3時間ほど待ったところで、階段を上る音がして奥さんが帰ってきました。しかし、ドアが開いて閉まるのは2、3秒の間です。もしそのままドアのカギを掛けられてしまっては、こんな状況では感情的にも開けてもらうのも大変だろうし、できる話もできなくなりますので、私は脱兎のごとく階段の踊り場から駆け下りて、ドアが閉まる寸前のところで、待っていただき今回の用件のお話をしました。
奥さんの話では、この日はご本人が不在とのことで、別の日に面談の機会を設定していただき改めて訪問しました。
そこで、ご兄弟であるご主人と話をして、時間を掛けて真意を話し納得いただき誤解を解いていただきました。
その後、ご依頼の方とも仲直りをしていただき、ゆっくりホテルにてお墓や今後のことなどのお話をして、相続の手続きは終わりました。
(個人情報なので省略していますが、ここにはいろいろなドラマがありました)
これは、私にとっても本当に思い出深い相続の事例になりました。
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